Sunday, January 28, 2007


水煙土器  呪(しゅ)の構造

こういうものは、どんなに上手くとっても、写真では駄目(中でも、記録するという本来の目的を忘れた、変に芸術ぶった商業目的の写真は、最悪、最低)。こればっかりは、どうしても実物を見なけりゃ、その力は感じられない。


水煙土器の名品は、釈迦堂遺跡博物館、山梨県立考古博物館、須玉町歴史資料館に常設展示されている。何れも素晴らしい逸品なので、ぜひ御覧ありたし。


中でも、須玉町歴史資料館は、目玉の品の素直な展示方法が素晴らしい。


水煙土器 
これぞトポロジー

火焔土器と一線を画す、一方の雄が水煙土器、呪(しゅ)の構造。

火焔のどこか動物的な臭いのする、完成された、然し、時に類型的な造形に対して、水煙のトポロジカルで自由なデザインは、まさに超現代的で、一歩上を行くものかもしれない。
この水煙を、アントニ・ガウディ・イ・コルネットが見たら、筆を折ったかもしれないね。

もっとも、これぞ水煙と区分されるものは、あまり数が出ていないようだが、これも、このタイプのデザインの難しさが原因かもしれない。

渦巻き、巻き込みながら、究極へ連続してゆくもの。そして、全てが、一つに収斂する。これぞ、トポロジーといわずして。

Sunday, January 14, 2007

縄文土器 世界一の芸術品!

兎に角、世界に稀な「芸術品」だ。

そして、この実物がちょっと足を伸ばせば見ることが出来る。

これぞ、日本に住んでいる幸運なのだから、ぜひ、十日町博物館、津南町歴史民族資料館に足を運んで、眼福にあずかられたい。

特に、津南町歴史民族資料館の素直な展示は素晴らしい。展示とは本来こうあるべきもの。

火焔土器の変形

その中で、下のようなタイプ(津南町、小千谷市、十日町市)が水煙につながる発想なのか。
火炎土器にこめた思念


岡本太郎は勿論のこと、あの大天才、ピカソの全作品をもってしてさえ、一個の火焔にみなぎる力には遠く及ばない。

ただ、火焔にしろ王冠にしろ、画一化、類型化してしまっている感じがする。

ある時、誰かが傑出した造形を完成してしまったので、その後は右に倣えになっていったのか。

加えて、この造形にこめた情念・思念がある時期、連綿として続いたのだろうね。
火焔土器 世紀の大発見!

火焔土器の発見。世の中には、こういうとんでもない幸運に恵まれた人もいるのだ。

新潟県長岡市の馬高遺跡で、近藤 勘治郎・篤三郎親子が初めて火焔土器を発掘したのが、わずか、70年前のこと。
昭和11年12月31日。
雪の長岡の大晦日、普通ならすべてが雪の下になっている時期である。
北陸でも、10年に一回くらいは正月にゴルフが出来るのだから、この年は例外的に積雪が無かったのだろう。

近藤篤三郎氏が、後に火炎となずける土器の破片を初めて土の中に見つけたとき、 その異常な破片を手に取ったとき時、どのような気持ちだっただろうか。
それとも、史上初めてとなる大発見をしたとは、夢にも思わなかったのであろうか。

ジグソーパズルのように、丹念に破片を継ぎ合わせていく、辛気臭い復元作業。徐々にあの異様な形が現れて来くる。その時、近藤 勘治郎・篤三郎氏は、どのような感慨に襲われただろうか。
誰でも発想できるようなツタンカーメンの遺品などとは格が違う。

Saturday, January 13, 2007

TAROの縄文

寡聞にして、岡本太郎が縄文に注目していたことを全く知らなかった。なんたること。

まあ、今迄、縄文土器なんて視野に入っていなかったのだから、仕方ないよね。

急いで、上野に見に行ったが、あいにく、太郎の火炎の展示は無かった。

その代わり、彩色土器にお目にかかった。

こんなものが、何千年も前に造られていたとは!
縄文土器 情念の抽象造形

呪術に使う道具のような、兎に角、何らかの人間の思念を盛り込んだものは、世界中で、古くから、造られてきたのだが、近代になるまでの長い間、これらはすべて、天然・自然に存在するものを基とした。

唯一の例外が、縄文土器。

縄文人のみが、数千年前に、既に、人間の情念・思念を抽象化するという大発明をしている。

加えて、その造形にみなぎる強烈な力は、古今東西、世界に稀なものといえよう。

「ニューヨークの近代美術館のど真ん中に、縄文土器の逸品を、一個乃至は山済みにして展示したらどうだろうか。驚異の展示になると確信する」、てな事を、いきまいていたら、「岡本太郎の受け売りか?」とやじられた。

TAROの縄文?

Friday, January 12, 2007



縄文土器 驚異の造形!

世界最古の土器、14000年以上古くから作られてきた縄文土器。

この土器は、当然、実用品、道具として開発されたもの。だから、すべての縄文土器が優れた造形品というわけではない。その中で、人間の思念が、より強く盛り込まれたものほど、より心打つ逸品となる。

天然、自然に発生する様々な現象に対する恐怖、畏敬の念、何とかこれをコントロールしようとしたところから発生した呪術。

そして呪術に使う道具のような、兎に角、何らかの人間の思念を盛り込んだものは、世界中で、古くから、造りつずけられてきた。然し、近代になるまでの長い間、これらはすべて、天然・自然に存在するものを基とした。

然し、縄文土器は?

バークコレクション展の弥生土器

確かに優美だが、東京のバークコレクション展で展示されていたものは所詮、偶然の産物だった

その他の弥生土器の優品、なるほど面白いが、一般に、そのデザインは、何らかのルーツがあるものが大半のようだ。

縄文土器のように、全くの独創、世界でこれしかないというものはない。

矢張り、縄文だ!

バークコレクション展の縄文土器

本年、2006年、冬、バークコレクションの招待日に東京都美術館に行った。

一番最初に展示してあった縄文土器に、驚嘆した。

これまで、縄文土器というものをまともに見たことが無かったが、世に、こんな恐るべきものがあったとは!。

強烈な衝撃。

縄文土器ほど、人間の思念を見事に造形したものは、古今東西、世界中に無い。

それが、何と、1万4千年以上前から造られていたんだ!そして、縄文土器を造られつずけた縄文文化は、何と、一万年の長きに及んだ。


世界遺産は、不動産的なものに限られるらしいが、然し、この縄文土器の逸品こそ、人類が誇るべき最高の創造物、最高の遺産だ。
ほとんどの縄文土器は、考古学資料として博物館的なところに展示されているらしいが、これは、考古館や博物館に展示されるものではない。独自の施設を新造してでも、人類の宝として展示されるべきもの。
そして、弥生土器は?

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